院長紹介 - 仙台市青葉区米ヶ袋の歯医者 - 佐々木歯科クリニック CTインプラントセンター

当院について

医院長 佐々木寛成のご紹介

佐々木歯科クリニック医院長・歯学博士

院長 佐々木 寛成

プロフィール

  • 誕生日/血液型:4月21日/A型
  • 趣味:ボート競技・映画鑑賞・読書・古いフィルムカメラで写真撮影
  • 好きな言葉:一生懸命

略歴

  • 平成元年 仙台育英学園特別進学課程(3期生)卒業
  • 平成7年 岩手医科大学歯学部卒業
  • 東北大学医学部麻酔科にて全身麻酔研修(1年間)
  • 日本歯科麻酔学会認定医取得(第715号)
  • 岩手医科大学歯科麻酔科において学位取得 「エピネフリンが高血圧自然発症ラット大動脈平滑筋の収縮および細胞内Ca2+動態に及ぼす影響」
  • 平成16年 父の後を継ぎ現在地にて開業

役職

所属学会

一般社団法人 日本歯科麻酔学会 一般社団法人 日本障害者歯科学会

私の半生と、歯科医師になった理由

歯科医師を志すキッカケ

私は、岩手医科大学歯学部1期卒業生の父と、山形県山形市出身の母の元に三人兄弟の長男として生まれました。生まれたのは山形の病院で4歳頃に父がこの土地で開業するために岩手県宮古市から越してきたそうです。なのでご当地のおたまや幼稚園、片平丁小学校、五橋中学校出身です。ただ、父はいつも仕事で忙しく、ほとんど遊んでもらった記憶がありませんが歯科医院の技工室が放課後の遊び場だったので自然と父の仕事を見ていて頼りにされている姿に憧れ歯科医師になると決めていました。

父は70歳の若さで他界しておりますが、父のことは歯科医師としても人間としても心から尊敬し、感謝しています。

中学生で経験した初の挫折

4月生まれと言うこともあり、成長が早く片平丁小学校、五橋中学校では成績優秀な順風満帆な生活を送る予定だったのですが、中学校2年生の頃に何故か国際政治の書籍に没頭してしまい成績が急降下してしまいます。そのせいで高校入試では滑り止めで受けた私立高校に不合格、一ランク落として受験した公立高校入試も失敗し、もはや高校浪人か?と思っていたら当時の担任から「まだ仙台育英学園特別進学科の二次募集があるぞ。それまで死ぬ気で勉強して受けてみろ。」と言われ。まさにその間は数時間寝る以外は机で食事をしながら勉強して何とか合格することが出来ました。

当時の担任の桜井先生とは今も交流がありますが当時の励まし本当に感謝しています。「努力の大切さと裏付けのない自信は何の意味も無い」と思い知らされました。

修行のような高校生活

仙台育英学園特別進学科の3期生として入学した時の加藤理事長先生の言葉が今も記憶に残っています「君たちの中で自ら望んでこの学校に来た者は少ないと思う。しかしここは逆転の育英と言われているところである。君たちが合格できなかった高校に進学した同級生を3年後希望の大学に合格することで見返してください。そのための協力を我々はいくらでも惜しみません。」と。挫折を経験したものとしてはとても心が熱くなりました。当時特別進学科は卒業生を出していなかったため、先生方がとても熱心で部活動、学園生活参加はダメ、修学旅行は無し、成績はトップからビリまで実名で貼り出し、ちょっとでも成績が悪いと補講と厳しかったですがこの学校に行けて本当に良かったと思っています。当時でも日本全国どこ行っても仙台育英を知らない人はいませんし、一学年100人程度でクラスは違っても顔は分かるので今でも年末に有志で飲み会をしています。患者様として通院してくれる同級生もいますがその一人が地元ローカルタレントの「ワッキー貝山」です。

人生に必要なことはボート部が教えてくれた

そんな厳しい高校生活だったので岩手医科大学歯学部には受験するまでもなく推薦で行くことになりました。東京の歯学部も勧められたのですが、何となく都会は嫌だったのと、父が一期生卒業で幼少期から盛岡に親しみがあったので岩手医大にお世話になる事になりました。入学式が終わり部活の勧誘が始まるのですが、最も練習が厳しいと言われていたボート部のブースに行き「ボート部に入部します」と言ったら逆に部員の先輩に「そんなに早まらなくていいよ」と止められました。ボート部は練習がハードなので騙されて入部するのが普通で自分から入部を希望するのは珍しかったようです。

父がボート部創設者の一人だったのでその影響です。皆さまボート競技ってご存知ですか?テレビドラマでは唐沢寿明の「愛という名のもとに」、速水もこみちの「レガッタ」が有名です。私は「付きフォア」という舵取り1人漕手4人で漕ぐ艇に乗っていました。ボート競技は見た目優雅ですが実はかなりハードで辛いものです。また周りに合わせる協調生が必要で究極の団体競技だと思っています。合宿では自炊しながら寝食を共にして一緒に漕ぐわけですから当然仲間意識が芽生えます。ボート部で先輩方への礼儀や自分だけではなく周囲と合わせることの重要性、仲間の大切さを学びました。当時の仲間とは今も連絡を取っていますが、それ以上にライバルとして競ってきた東北大学歯学部ボート部OBと今では親友として歯科医師会や勉強会で共に研鑽を積んだり情報交換しているのが大きな財産になっています。真剣に競ってきたからこそ築けた関係性だと思います。

院長として、この地域の方々への想い

無事に国家試験も受かり、大学卒業後は岩手医科大学歯科麻酔学講座に大学院生として入学しました。歯科医師はどうしても歯科の専門家で全身の事はあまり知らないのが普通なので、まずは全身管理から勉強したかったからです。今では歯科医院内で全身麻酔をする事はありませんが、血液検査データや心電図等は読めるので患者様を安全に治療するための大きな武器になっています。

大学院の4年間は今まで生きてきて一番勉強した期間でした。歯科治療以外にも全身管理の事も学び、1年間は東北大学医学部麻酔科で研修。歯科治療のバイトをして生活費を稼ぎ実験をして学位論文を書き、歯科麻酔認定医試験の勉強をして合格。その間に結婚して長男が生まれました。多分4年間で自分の希望で休みを取ったのは10日程度だったと思います。

何とか4年間を数ヶ月オーバーして博士号も取得できました。博士号授与式で担当教授の城 茂治先生から、「私は4年間でここまでやり切った大学院生は彼しかいないと思う。」とお言葉を頂きました。平成11年から仙台に戻り父と一緒に診療を始めました。

当院では父の時代の患者様もいらっしゃいますし、幼稚園、小中学校、高校の同級生やそのご両親も通院されています。この地域の患者様の心に寄り添い、心からの信頼関係を互いに築き、健康面でも心の面でも貢献することで、皆様の人生の豊かさへ貢献することができる歯科医院となりたいと思っています。

こんな想いを持った私、そして熱いメンバーがいる佐々木歯科クリニックへぜひご来院下さい。